府立狭山池博物館(大阪狭山市)の年間来館者数が8万人を超え、過去最多を上回る勢いだ。これまでで最も多かった2006年度(8万9111人)と比べても、ほぼ1か月早いペースという。昆虫展など学術関係にこだわらないイベントや花壇整備などを行い、今年度から始まった大阪狭山市との共同運営の一環で拡充した、市民ボランティアらの協力が奏功した。
同館は01年、日本最古のため池とされる狭山池の歴史を紹介する施設としてオープン。建物は建築家・安藤忠雄さんのデザインで、築造時(616年頃)の遺構が見られる堤(高さ15メートル、幅60メートル)や、江戸時代に改修した中樋(なかひ)(府指定文化財)の実物などを展示している。
初年度は8万944人が訪れ、その後は8万人前後で推移していたが、05年度には6万人台に減少。07、08年度は、橋下知事が府立施設を見直す行財政改革案の対象施設になったことで存続を求める市民らが訪れるなどして一時的に来館者が増え、両年度とも8万人台を維持したが、全体的には右肩下がりだった。
昨春には共同運営に伴い、府と市、市民有志で「協働運営委員会」を設立。イベントに市民のアイデアを取り入れ、昨夏に市民らが企画した「世界の昆虫展」では、8月としては最も多い1万3656人が来館。日展評議員、洋画家・小灘一紀さんの絵画展を12月に開いたところ、これまでの月間記録を更新して5606人が訪れた。
また、これまでの展示解説ガイドに加え、イベントなど館の運営全体をサポートする市民ボランティア(56人)を採用。屋上ガーデン(約1260平方メートル)にハーブやパンジーを植え、休憩用ウッドデッキを整備するなどし、親子連れらの憩いの場として親しまれるようになった。来館者数は、昨年4月から今月23日までで8万600人に上る。
ボランティアガイドの薄野恭史さん(73)は「狭山池は、行基が改修にかかわったとされるなど歴史上の人物とのゆかりもあり、説明を聞くとみなさん驚く。今後も足を運んでもらえるきっかけづくりを考えたい」と話す。同館は「市民の協力はありがたい。悲願の来館者10万人を目指す」としている。
府立弥生文化博物館の冬季企画展「大阪の二十世紀―古写真・出土品などからみた昔のくらし―」が23日、和泉市池上町の同博物館で始まった。大阪にかかわる絵はがきやポスター、古写真、発掘調査の出土遺物など約500点が並び、近代から1970年の大阪万博まで、華やかで活気にあふれていた大阪の歴史をたどる。3月22日まで。
「大(だい)大阪」。大正末から昭和初期まで、大阪市はこう呼ばれていた。1925年(大正14年)、人口と面積が当時の東京市をしのぎ、日本一の大都市となったからだ。同年に開かれた「大大阪記念博覧会」の絵はがきなどから、往時の様子をしのぶことができる。
また、堺港や初代通天閣などの古い写真には、開発や空襲で失われた街並みが写っており、高度経済成長期の商品ポスターなどからは、時代の熱気が伝わってくる。
一方、45年に撃墜された米軍機のプロペラや、捕虜収容所で亡くなった英軍将兵の認識票なども出展。府文化財センターなどによる発掘調査の出土遺物からは、「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀の姿が浮かぶ。
月曜休館(3月22日は開館)。開館は午前9時半~午後5時(入館は4時半まで)。入館料は一般400円、65歳以上と高校・大学生300円。
(2010年1月24日 読売新聞)