道頓堀川遊歩道に広告 戎橋との相乗効果で集客へ 大阪市が事業者募集

大阪市は29日、道頓堀川遊歩道(中央区)の水辺空間を広告スペースとして開放することを決め、広告事業者を募集すると発表した。河川敷地を広告事業に活用する取り組みは全国初。財政難の市は収入源として期待するとともに、ユニークな広告看板が並ぶ戎橋周辺との相乗効果で集客アップを狙う。

 市によると、広告は、戎橋から太左衛門橋まで道頓堀川両岸の遊歩道約170メートル間の転落防止柵やウッドデッキなどを活用。片岸あたりの総表示面積は300平方メートル以内とする。形態やレイアウトはほぼ自由。期間は3~5月の3カ月間で、市は2月から1カ月ごとに事業者を募集、入札を行う。最低入札価格は片岸60万円。

 河川敷地の活用をめぐっては平成16年3月、規制が緩和され、国の指定を受けた道頓堀川などの敷地でイベントや広告事業といった社会実験を行うことが可能になった。問い合わせは財団法人・大阪市下水道技術協会内とんぼりリバーウォーク事務所(平日(電)06・6615・6169)。

秋田地区かわまちづくり懇談会:オープンデッキ「旭川に設置を」 /秋田

雄物川や旭川など秋田市内を流れる河川を活用した街づくりを官民で考え実現する「秋田地区かわまちづくり懇談会」が20日開かれ、今夏に同市大町の旭川にオープンデッキを設置する構想が報告された。

 「かわまちづくり」は国土交通省秋田河川国道事務所が事務局となり、旭川・川反など4地区で市民とともに川を生かしたイベントや施設整備に08~10年度の3カ年で取り組んでいる。

 この日の懇談会での事務局側の報告によると、竿燈(かんとう)の時期に合わせて小規模なウッドデッキを期間限定で設置することを検討している。

 09年10月には雄物川河川敷でオープンカフェを実施し、カヌー体験、ミニライブや流しそうめんなどのイベントも好評だった。【岡田悟】

府立博物館ただいま奮闘中!!

府立狭山池博物館(大阪狭山市)の年間来館者数が8万人を超え、過去最多を上回る勢いだ。これまでで最も多かった2006年度(8万9111人)と比べても、ほぼ1か月早いペースという。昆虫展など学術関係にこだわらないイベントや花壇整備などを行い、今年度から始まった大阪狭山市との共同運営の一環で拡充した、市民ボランティアらの協力が奏功した。

 同館は01年、日本最古のため池とされる狭山池の歴史を紹介する施設としてオープン。建物は建築家・安藤忠雄さんのデザインで、築造時(616年頃)の遺構が見られる堤(高さ15メートル、幅60メートル)や、江戸時代に改修した中樋(なかひ)(府指定文化財)の実物などを展示している。

 初年度は8万944人が訪れ、その後は8万人前後で推移していたが、05年度には6万人台に減少。07、08年度は、橋下知事が府立施設を見直す行財政改革案の対象施設になったことで存続を求める市民らが訪れるなどして一時的に来館者が増え、両年度とも8万人台を維持したが、全体的には右肩下がりだった。

 昨春には共同運営に伴い、府と市、市民有志で「協働運営委員会」を設立。イベントに市民のアイデアを取り入れ、昨夏に市民らが企画した「世界の昆虫展」では、8月としては最も多い1万3656人が来館。日展評議員、洋画家・小灘一紀さんの絵画展を12月に開いたところ、これまでの月間記録を更新して5606人が訪れた。

 また、これまでの展示解説ガイドに加え、イベントなど館の運営全体をサポートする市民ボランティア(56人)を採用。屋上ガーデン(約1260平方メートル)にハーブやパンジーを植え、休憩用ウッドデッキを整備するなどし、親子連れらの憩いの場として親しまれるようになった。来館者数は、昨年4月から今月23日までで8万600人に上る。

 ボランティアガイドの薄野恭史さん(73)は「狭山池は、行基が改修にかかわったとされるなど歴史上の人物とのゆかりもあり、説明を聞くとみなさん驚く。今後も足を運んでもらえるきっかけづくりを考えたい」と話す。同館は「市民の協力はありがたい。悲願の来館者10万人を目指す」としている。

 府立弥生文化博物館の冬季企画展「大阪の二十世紀―古写真・出土品などからみた昔のくらし―」が23日、和泉市池上町の同博物館で始まった。大阪にかかわる絵はがきやポスター、古写真、発掘調査の出土遺物など約500点が並び、近代から1970年の大阪万博まで、華やかで活気にあふれていた大阪の歴史をたどる。3月22日まで。

 「大(だい)大阪」。大正末から昭和初期まで、大阪市はこう呼ばれていた。1925年(大正14年)、人口と面積が当時の東京市をしのぎ、日本一の大都市となったからだ。同年に開かれた「大大阪記念博覧会」の絵はがきなどから、往時の様子をしのぶことができる。

 また、堺港や初代通天閣などの古い写真には、開発や空襲で失われた街並みが写っており、高度経済成長期の商品ポスターなどからは、時代の熱気が伝わってくる。

 一方、45年に撃墜された米軍機のプロペラや、捕虜収容所で亡くなった英軍将兵の認識票なども出展。府文化財センターなどによる発掘調査の出土遺物からは、「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀の姿が浮かぶ。

 月曜休館(3月22日は開館)。開館は午前9時半~午後5時(入館は4時半まで)。入館料は一般400円、65歳以上と高校・大学生300円。

(2010年1月24日 読売新聞)

江田島フォト 千葉さん金

江田島市内の風景や伝統行事などの写真を集めた「市フォトコンテスト」(市観光協会主催)の入賞作品が決まった。

 最優秀賞の金賞には、沖美町の会社員千葉祝二さん(56)の「四郎、五郎の夕日」が選ばれた。同町是長四郎五郎の海岸近くで、住民グループが製作中のウッドデッキから美しい夕日を撮影した。

 江田島や呉、広島市などから132点の応募があった。上位入賞者は2月7日、江田島町の小用みなと公園で開かれる、市カキ祭りで表彰する。

花やモビールで童話の世界演出 砺波の四季彩館で季節展示

砺波市のチューリップ四季彩館の季節展示「童話の世界~ブレーメンの音楽隊」は4日、同館で始まった。チューリップテラスには、チューリップの花のほか、「ブレーメンの音楽隊」の舞台であるドイツで品種改良が進められた多肉植物のカランコエやキンギョソウなどが早春ムードを醸し出し、訪れた客をグリム童話の世界に誘った。
 天井にロバや犬、ネコ、ニワトリなどが楽しく音楽を奏でるようすを表したモビール、部屋の暖炉、ウッドデッキなどが配置され、それらを囲むようにチューリップ2千本、スイセン200鉢、カランコエ300鉢などが飾られた。2月2日まで。

支局長からの手紙:「遺言」代わりの記録 /高知

「今こそ踏みしめる故国の土、その第一歩は裸足(はだし)だった」

 早野朝子さん(79歳)=香南市野市町西野=はそう記しています。当時16歳。ソ連占領下の咸興(ハムフン)(現在の北朝鮮)から母と妹3人と弟の計6人で、1946(昭和21)年6月、命からがら山口県・仙崎港に引き揚げてきました。終戦1年前の44年夏に志願して、海軍軍属として中国の海南島へ向かった父の行方はわからないままでした。

 早野さんは北朝鮮からの引き揚げの苦難を80枚の絵に描き、展示を続けています(08年7月7日「イムジン河を渡れ」)。その続編「戦後・動乱の時代を生きて」が昨年秋に完成しました。手書きの文章と絵は、大学ノート91ページにも及びます。最後を読んで、胸が詰まりました。36歳の若さで、16~2歳の5人の子を無事に引き揚げさせた母・安部静子さんの命が尽きるのです。享年47。帰国後も苦労は絶えませんでした。

 帰国した一家は、福岡・小倉の引き揚げ寮で仮住まいします。早野さんは高等女学校に転入します。学校をやめさせては「お父さんに申し訳ない」。母は焼け跡の市場で蒸しイモを販売したり、和裁や編み物をしたり。配給生活の中、米国映画にひかれた早野さんに入場券代を握らせてくれました。

 翌年夏、父が帰還。あばら骨が見えるほどやせこけていました。「母一人で頑張ってきたのでほっとした」。僚船2隻が沈没した体験を父が語ると、母は引き揚げの苦労を語ります。父は家族の半数は死亡と覚悟していたそうです。

 熊本・球磨川のダム工事現場で働くため一家7人で引っ越し。父は送電線の請負事業を起こし、母は電気工の賄いをしましたが、事業不振に陥ります。なけなしの家財が持ち去られました。父の朝鮮時代の上司を頼って高知へ。母は農作業を手伝う傍ら、婦人会でキムチ作りを指導しました。

 57年、父が建設会社に採用され、ビルマ(現ミャンマー)行きが決まりました。「遂(つい)に父の輝く時がきた」。土佐山田駅から出発です。列車のデッキで手を振る父を、母が満面の笑みで見送りました。父が見た母の最後の姿でした。

 早野さんにとって、北朝鮮からの引き揚げが知られていないのが、残念でたまりません。帰国を夢見て絶命した人たちの慰霊碑を北朝鮮に建てるのが悲願です。大阪に住む小中生の孫2人に常々言ってあります。「この絵は私の遺言。大人になったら必ず読んでね」

 母が不調を訴えた時は手遅れでした。直腸がん。病状を知らせると、ビルマの父から手紙が届きました。郵便事情で手元に届くのが遅れ、母は読まずじまいで息を引き取りました。57年10月。こんな言葉を残して。「お父さんが帰ったとき、こんなお婆(ばあ)ちゃんでもいなかったら寂しいだろうね」

 早野さんは懐かしみます。「ワンマンな父に逆らわない母でしたが、子どもを一人残らず連れ帰ったので、『お父さんは頭が上がらないの』と笑っていました」

 父の手紙は開けずに母の棺に入れました。【高知支局長・大澤重人】

中国製鋼線は不当廉売 米商務省が仮決定

米商務省は5日、中国製のワイヤデッキと呼ばれる鋼線製品が不当に安い価格で米国に輸入されているとして、42・61~289%の反ダンピング(不当廉売)関税を課すことを仮決定した。

 同製品をめぐり商務省は11月、中国政府から不当な補助金を受けて輸出しているとして、2・02~437・73%の相殺関税を課すことも仮決定している。

 今後、商務省と国際貿易委員会(ITC)が本決定すれば処分が確定する。2008年の輸入額は約3億1705万ドル(約290億円)。(共同)