夢の跡 救世主は地元

東関東道・湾岸習志野インターチェンジをおりて幕張新都心に入ると、まず11階建てのアルミパネルとガラスに覆われたビルが目に入る。BMWジャパンの元本社だ。入居者はなく金網に覆われ、墓標のように立っている。

BMWジャパンは91年、自社ビルを新都心に建て、本社を置いた。「成田と東京に近い」「千葉港もある」。ドイツの高級車メーカーが、東京ではなく幕張に本社を置いたことは新都心の大きなPRにもなった。

そのシンボルが2年前、新都心を出て東京駅八重洲口にできた地上42階のオフィスビル、グラントウキョウサウスタワー内に移転した。

「顧客も関係会社も東京が多い」「移転先が我が社のプレミアムなイメージと合致した」と説明する。移転後、不動産会社に売却されたが、その後は空きビルだった。所有者によると、最近、売却先が見つかったそうだ。

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 新都心の拡大地区の一角に06年4月オープンした「さくら広場」。約3万平方メートルにソメイヨシノ505本が植えられ、お花見の穴場となっている同広場は、建築家の安藤忠雄氏が設計し、ライトアップされる夜間が美しい。

 広大な空き地にポツンとある広場の隣りに、今年になってホームセンター島忠ホームズなどが出店してきた。だが最寄りの公共交通機関も駐車場もない。

 県はメッセ東側の84・5ヘクタールを89年、拡大地区として新都心に編入。ソニー、オリックス、日本航空――と、そうそうたる企業が購入に手を挙げたが、バブル崩壊でいずれも降りてしまった。さくら公園も、パナソニックが業務施設を建てるために購入したが断念。オフィスビルが並ぶはずだった一角が、公園に仕立てられた。

 地区には現在、スーパーマーケットなどの郊外型店舗がポツリポツリとあるだけ。県は残る21・6ヘクタールについて販売を凍結し、計画の見直しを進めている。

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 ビルの谷間に残った商業地2千平方メートルに、県が事業費7億円かけて97年にオープンしたパルプラザ幕張。海浜幕張駅から北へ5分ほど歩いた一角に、ウッドデッキの上にしゃれたカフェや和食の店などが並ぶ。

 昼間はランチの客、夜は帰りの会社員らでにぎわっているが、2年前までは、出す店出す店がつぶれていき、「ゴーストタウン」と呼ばれるエリアだった。

 ここの活性化に乗り出したのが、居酒屋チェーン「くふ楽」。国内外に21店舗を持ち急成長している。核になる店舗として同社では初めての高級レストランをつくった。それが呼び水となり新たに数店が進出。ネットを使ったPRなどにも努め、にぎわいが出てきた。

 くふ楽の福原裕一社長(44)は「地元企業として千葉に恩返しが少しできたかな。新都心は海が近くにあり、公園も充実しているなど、最高の環境。PR次第でもっと発展できる」と話す。

 同社は99年に市川市で焼き鳥屋からスタート。かつて新都心は、イメージアップのため海外や先端、大企業に誘致を絞っていた。昔なら、声をかけることはなかったはずの会社に救われた。

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